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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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砂糖-この上なく甘く真っ白な

聖地への十字軍と、それに続く東方貿易の活発化によって中東からは数々のモノが流れ込んできました。砂糖きびの栽培・精製技術もそのうちのひとつです。ヨーロッパにもたらされた砂糖はまずもって薬品として扱われました。そもそも一般的に食用に出来るほど安価なものではなかった砂糖は、その純白の色合いやこの上ない甘さも手伝ってか、神秘的なものだと考えられていたのです。砂糖を薬品とみなす考えもイスラム世界から導入したようで、11世紀の医師イブン・スィーナーは砂糖を万能薬と見なしたいました。12世紀のビザンティン皇帝に仕えた医師も熱さましに砂糖漬けのバラの花を勧めています。イスラム流れの考えを用いて砂糖の薬用を説いたものもいましたが、もっと単純にその甘さと白さ、貴重さによって、砂糖には薬用効果があるはずなのだと考えられていたのです。かのトマス・アクィナスも断食中に砂糖を口に入れるのは、砂糖は薬品であるから問題ないといています。これによって何かと制約の多かった教会からの足かせが無かった砂糖は、近世以降大量に生産・消費されていくことになります。

さてヨーロッパでの主な砂糖の栽培地としては、キプロスやシチリアなどの地中海の島々がありました。砂糖の原料となる砂糖きびはある程度の高温を必要としたため、ヨーロッパの中では暖かい地中海気候の中でしか育てられなかったのです。収穫された砂糖きび砕いてから圧縮して汁を取り出し、その汁を煮詰めて結晶になったものが砂糖になりました。砂糖きび以外の砂糖原料として開発されヨーロッパ各地で栽培されるようになるビート(甜菜)が現れるのは、ずっと後の19世紀のことです。

砂糖は高級品として、それを用いる人々のステータスシンボルにもなりました。ヨーロッパのディナーを飾る一品に砂糖の装飾菓子が出てくるのはその現われです。蛇足ですが、ビートの登場までヨーロッパでは多く生産できなかった砂糖は、近世以降もその高級性を保ちます。しかし、カリブ海などで行われた大規模なプランテーションが発達し生産量が倍増するにつれて、一般大衆にも手が出せるものとなっていきました。
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