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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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ポスト・ローマの時代

更新がなかなかできずにかなりの時間が経ってしまいました。学生の基本は勉学です。が、趣味も大切です。ということで、更新を再開します。今回は、ローマが滅んだ後のガリア情勢についてです。


<ポスト・ローマの時代>

西ローマ帝国滅亡後、ガリアは複数の政権によって統治されていました。東部にはアラマンやランゴバルドなど諸部族が侵入し、ブルターニュにはブリテンから来たケルト人が住み着きました。南部では西ゴート王国の支配権が広がり、北西部にはローマの軍事政権、シアグリウスの王国が鎮座していました。

このような情勢を、北東部のフランク人を率いる任をシルデリックより継いだクローヴィスが変化させていきます。クローヴィスは486年、ソワソンの戦いでローマ人シアグリウスを追い落とします。フランク王国はロワール川まで勢力を拡大し北ガリアを支配しました。

クローヴィスの軍勢は留まることを知らず、496年にはアラマン族に、500年にはブルグンド族に対して勝利を治めます。そして、ついにガリアの支配をめぐって西ゴート王国と衝突するに至りました。507年、ヴイエの戦いでまたしても勝利したフランク人はガリアの覇者となります。西ゴート王国は戦場で王を失い、トレドを首都としてイベリア半島に引き上げたのでした。

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