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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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教皇領寄進

通史を追ってきましたが…グレゴリウスもボニファティウスも出てきていません…。教会や、修道院については、総合HP開設に際し、加筆したいと思っています。


<教皇領寄進>

ローマ教皇座とフランク王国との関係は、教皇がステファヌス2世に代替わりし、新王朝が成立した後も密接に続きます。754年、ステファヌス2世は敵対していたランゴバルド王国への攻撃をピピンに要請しました。ピピンは、反対する諸侯を抑えて教皇の求めに応じることを決め、同時に「教皇領寄進の約束」を交わしました。755年に、フランク軍はランゴバルド王国に侵入、勝利を収めます。この際に教皇に譲渡された土地が、物質的なものとしての教皇領の始まりでした。

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