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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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西ローマ帝国の滅亡

東ゴート族の項で簡単に述べてしまった西帝国の崩壊を、今度は帝国の視点からみていきます。


<西ローマ帝国の滅亡>

ゲルマン民族が領内定住進めてからというもの、西ローマ帝国とは名ばかりで、西帝国の実態はラヴェンナの一政権に過ぎなくなっていました。アエティウスの暗殺以降、帝国の滅亡までの歴史は、暗殺と帝位簒奪の歴史でした。ウァレンティニアヌス帝は簒奪者ペトロニウスに殺され、ペトロニウス帝は近衛兵に殺されます。この後も帝位は入れ替わりますが、ペトロニウスより後の皇帝は東帝国には認められていないものでした。

473年、東帝レオは西帝としてネポスを送り込みます。しかし、ネポスも例によって部下オレステスの裏切りにあい、ダルマティアに引き返します。オレステスはゲルマン人であったため、ローマ人との間の息子、ロムルスを帝位につけます。

476年、そのオレステスは、ゲルマン人で構成されたローマ軍の反乱によって殺害され、ロムルスは帝位を失います。その反乱の首謀者が、小部族スキラエ出身のオドアケルでした。彼は帝位を東帝ゼノンに返上する代わりりに、皇帝の代理人としての総督「パトリキウス」としてイタリアを統治する方法を取りました。こうして、西ローマ帝国は滅亡します。しかし、実質上なんの権力も持たなかった帝国の滅亡は、周辺に大きな影響を与える大事件ではありえず、歴史上の区分としての意味を強くもつものです。

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