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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

守備兵はたったの6人-城の防衛

中世ヨーロッパを舞台にした映画では、ド派手城攻めのシーンがハイライトになることが多いですね。「キングダム・オブ・ヘブン」しかり「ロビン・フッド」しかり。しかし、城はいつも戦争していたわけではないわけで、「普通の」とき、城はどのように守られていたのでしょうか。

中世ヨーロッパでは大きいものから、小さいものまで、無数の城が築かれました。ドイツ語圏だけでも、その数は1万に達したと言われています。これだけの数の城に守備兵を揃えることは簡単なことではないですね。当時はまだ、王権も弱く、大規模な傭兵隊もなければ、近代的な常備軍もありません。戦うことは、貴族の特権となり、古代ギリシア・ローマの市民兵伝統も、ゲルマン人の自由民は皆戦士という伝統も忘れられています。実際には、農民や都市住民が騎士の数倍の歩兵を形成しましたが、少なくとも全ての人が戦うという土壌はできていなかったわけですね。

実際、城にはほんのわずかな駐屯兵しかいませんでした。百年戦争中、フランスのモンタイユー城には32名しか守備兵がいませんでした。戦時なのに、ですよ。また、守備兵の少なさは城が持つ装備品の目録にも現れています。12世紀フランスのパシー・シュル・ユール城には69のクロスボウ、46の兜が備えられていましたが、リトル・イソエ・レヴュック城のクロスボウはたった2つでした。

驚くべきことにもっと小さな守備隊を抱えていた城もあります。例えば中世後期のドイツではバンベルク司教のライフェンベルク城の守備兵は6名でしたし、ニュルンベルクに帰属していたライヘネック城も平時は5名、戦時でも20名の兵士を抱えているに過ぎなかったのです。

このような寡兵でどうやって城を守ったのでしょうか。さて、ここで攻める側に立って守備兵について考えます。まず、攻め手には敵兵の姿が城壁越しに見えるだけで、その総数を知ることはできません。また、城には幾重にも張り巡らされた防衛機構が存在し、兵士の行く手を遮ります。城攻めをする兵士たちは、自分たちより高台にいる城兵に矢を放つか、あるいは柵を越え、堀を埋め立て、さらには梯子をやっとのことでよじ登って初めて守備兵に攻撃を加えることができたのです。

幼年期をシャルル5世の宮廷で過ごし、後に『シャルル5世伝』を著したクリスティーヌ・ドゥ・ピザンは、200名の守備隊がいる拠点を包囲するのに必要な人員及び資材についてもまとめています。曰く、3000人を越える大工や工兵、クロスボウと弓をそれぞれ300、投石機及び射石砲、そして大量のボルト(クロスボウ用の太く短い矢)、矢、石弾、火薬が必要、と。

一般的に、城を直接攻撃で落とすためには、守備兵の3~10倍の兵士が必要だったと言われています。中世の城の守備兵の貧弱さは、逆説的に城の守りの役割を教えてくれています。

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