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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

小説フランス革命〈3〉バスティーユの陥落



佐藤賢一『小説フランス革命〈3〉バスティーユの陥落』集英社(2011)

シリーズ第三巻は、1789年7月14日、武器を手に入れた市民たちがバスティーユを陥落させた事件から、同年8月の「封建的特権の廃止」「人権宣言」を経て、10月のヴェルサイユ行進の結果、国王と議会がパリへ移動するまでの3カ月弱が描かれています。まさに、フランス革命前半戦のハイライトとなる事件に焦点が当てられています。

本書で印象的だったのが、ヴェルサイユ行進にいたる流れです。バスティーユ陥落後、フランス各地に広まった騒擾は、国王と革命の和解が進み、「封建的特権の廃止」が決議されるに及んで、沈静化しました。しかし、革命の大きな要因のひとつとなったパリの食糧難は、解決されていません。そんな中、ヴェルサイユの国民議会では、革命の成果を早急に明文化しようと「人権宣言」の策定、続いて王の権力制限についての議事が進行していました。

しかし、「人権宣言」で何を謳おうと、また国王が議会へ拒否権を持とうが持つまいが、人々の腹は膨れないのです。民衆は、わかりやすい欲求で動きます。食への欲求、安全への欲求です。パリの民衆は、バスティーユのときは食糧難と、パリへの軍隊駐屯により生命の危機を感じたからこそ立ち上がったのです。いまだに、食への欲求が満たされない中、人々が再度立ち上がるのは時間の問題だったのです。

もうひとつ、わかりにい「封建的特権の廃止」について。これは、「すべての領主は地主になった」と言いかえることができます。廃止されたのは、貴族の免税特権、領民への裁判権、領民へ賦役などの肉体的な労働を強制する権利でした。つまり領民を支配する権利です。残ったもの貴族が今までの領地を、地主として所有し続ける権利でした。金銭的な権利ですね。領民は、今後は地主となった貴族に小作料を納め、土地を地主から買い戻すことで自営農民になる道が開かれたのです。

今回は、パリの革命を指導した国民議会議員以外の人々の肖像画を掲載します。年齢は、1789年当時。


ジャン・ポール・マラー
46歳(1743年5月24日 - 1793年7月13日)

 
ジョルジュ・ジャック・ダントン
30歳(1759年10月26日 - 1794年4月5日)
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