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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

備えあれば憂いなし-都市の警備

城壁で周囲を囲まれていた中世都市は、そうでなかった農村地域より、はるかに外部からの攻撃に対して備えがありました。しかし、人口の集中する都市で頻繁に起こった暴行や窃盗、殺人や強盗などの犯罪は、絶えず市民たちの生活を脅かしていました。また、城壁が築いてあったとしても、襲撃の際、即座に敵を発見し防衛体制に入らなければ、都市は簡単に乗っ取られてしまう恐れがありました。このような内側と外側の危険に対し、都市では警備隊が組織されていきました。

中世初期のことについては詳しくわかっていないようですが、中期から後期になると都市警備についての資料を見つけやすくなるようです。都市の安全を守るために組織された彼らは警備隊と夜警に大別されます。警備隊は日中、あちこちの市門に配置され、夜警はその名の通り夜間の見回りと、敵襲に備えての見張りを行いました。人数としては警備隊より多く動員された夜警が警戒していたのは、こそこそ動き回る盗人だけではありません。しばしば乱闘騒ぎを起こした飲んだくれ、ただ刀剣を持ち歩いていただけの男も、それだけで都市の平和を乱しかねない者として処罰されました。都市内で武器を携帯してよいのは、司法関係者と貴族とその従者だけでした。また夜警は火事にも注意を払う必要がありました。木造家屋が密集して建てられた都市では火事のせいで街区がまるまる消滅することもあったのです。

警備隊や夜警隊の大部分を構成したのは一般市民でした。都市に住む18~60歳までの男子が世帯を単位として召集され、普通は一ヶ月に一度、警備隊か夜警として働きました。しかし、夜の睡眠が取れず朝からまた働かなくてはならない夜警は敬遠されることが多かったので、必要な数の夜警を集めるためには欠席者には処罰として罰金を科さなければなりませんでした。合法的に夜警を免れるにはしかるべき代理人を立てたり、免除金を支払わなければなりませんでした。また警備隊の召集は世帯ごとに行われたので、例えば父の代わりに息子が、主人の代わりに召使が、警備に就くことができました。

素人からなる夜警を補佐するために、大都市や国王代官の駐在する都市には国王の警備隊が設置されました。13世紀、聖王ルイの下のパリにあった国王の夜警隊は、徒歩警官40名、騎乗警官20名から成り、夜警隊長の指揮に服しました。彼らは有給の常備警備員で、一般市民からなる夜警の欠席には罰金が科されたのに対し、彼らが任務に欠席した場合、その日の分の日当は払われませんでした。パリでは国王の夜警隊の下、市民による夜警が行われていましたが、このような警備は首都であればのことで、多くの都市の警備員数は十数人といったところであったようです。
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