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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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佐藤彰一「中世世界とは何か」岩波書店(2008)



久しぶりに「ヨーロッパの中世」というシリーズもの一巻を読み直しました。前読んだはずなのですが、内容をすっかり忘れていまして。しかし、読んでいくうちに思い出してきて、面白い考えだなあと改めて思ったので、最初の部分の内容を紹介します。

ヨーロッパの中世とはなにか。これが難題です。もちろん教科書的にいえば、476年の西ローマ帝国の滅亡から1453年の東ローマ(ビザンティン)帝国の滅亡までの約1000年間のヨーロッパということになります。これに対して、たとえば両ローマ帝国の滅亡は象徴的な出来事にすぎないとか、別の年代を基準にするとか、議論は大きくありますが、筆者はもっと大きな視点から中世を捉えようとしています。

「中世を切り出す」という小見出の通り、筆者は先史時代と呼ばれる文献資料の存在しないはるか昔のヨーロッパから現代までの長い人類史の中で、中世の位置づけを探っていきます。その中で、西洋の歴史家によって考えだされたヨーロッパにおける世界システムなどにも言及しています。無論、ここでいう世界システムとは近代ヨーロッパの拡大による地球全体の経済関係の話ではなく、大きくてもヨーロッパから北アフリカ・中東までを含むユーラシアの西部に限っての話です。この世界システムの考え方では、中世までの世界は、富める中心と未加工品を中心に送る周辺からなるシステムの時代と、地域ごとに小さな共同体が首長を中心に集まって、相互に経済活動をしていた、全体的に見ればまとまりの弱い時代に分けられるそうです。わかりやすいのがローマ帝国の時代で、この時代の中心は地中海世界で、北ヨーロッパなどが周辺にあたります。そして、西ローマ帝国の滅亡後は地中海東部が中心となります。中世ヨーロッパは、ゲルマン民族侵入後に小さな集団に分裂したために、半周縁に置かれていくことになるのです、

また、ヨーロッパの長い歴史は民族侵入の歴史であり、先史時代にはスキタイ、ケルト史料の残る時代にはゲルマン、フン、アヴァール、マジャール、ブルガール、トルコなどの異民族の侵入が常態でした。しかし、オルマン・トルコによるヨーロッパ東部から東地中海への支配は、ヨーロッパ半島に蓋を閉め、以後異民族の大規模な侵入はなくなります。つまり、中世とは先史時代から続く長い長いヨーロッパの歴史の中で、最後の民族移動があった時代なのです。この後には、出入り口をふさがれたヨーロッパ人は西の海から世界へ進出していくことになるのです。

このように、中世を長いヨーロッパの通史の中から切り出して考えることで、新しい見方ができるのだと思います。古代と近世との比較だけにとどまらず、もっと大きな視野をもって中世について学びたいものです。

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